So-net無料ブログ作成
検索選択

箕面 西国街道2 [街歩き]

171号を渡り、箕面市の西国街道を東へ東へ、
京を目指して歩いています。  

016.jpg

しばらくして、右に広い畑が現れました。

正直、昔の「街道」という価値
意味を知らなければ、ただの郊外の畑のある風景。

ただ、下の写真の場所、
段差が気になります。 

018.jpg

ときどき現れる土蔵

昔からこの地域は経済的に豊かだったんでしょうね。 

017.jpg

桜井駅から東へ約3キロ

だんだん街道ぽくなってきました 

 019.jpg

浄土真宗のお寺
浄園寺の高い石垣 

023.jpg

この付近の地名は、箕面市萱野になります。 

024.jpg

萱野とは、この地にに領地をもっていた豪族萱野家
赤穂藩士、萱野重実の姓に因んでいるもの
と理解しましたが、

古くからこの地は萱野村と呼ばれていたそうで、
地名が先か、名前が先か、由来はわかりません。

026.jpg

萱野重実、通称 萱野三平は、48人目の赤穂浪士と伝わっています。
俳人として知られ、多方面で優れた人物だったようです。

「三平」と聞いて、正直、
古くは「どうもすいません」の林家三平と、
あまり売れていないバラエティタレント
しか思い浮かびませんでしたが、

今回、勉強させていただきました。

027.jpg

萱野三平の旧邸は、現在 萱野三平記念館「涓泉亭」として
箕面市の観光施設になっています。

邸宅は明治時代に取り壊されましたが、

土塀の一部と長屋門が保存され、大阪府から史跡に指定されています。

028s.jpg 030s.jpg

吉良義央のパワハラに切れた 主君 浅野長炬が、
「てめえ、このやろ」と殿中刃傷事件を起こし、
切腹させられた経緯は、あまりにも有名。

三平が早かごで、赤穂に一報をもたらしたあと、
この建物の一室で自害したと伝わっています。

庭には、彼の辞世の句碑が残されていました。

032.jpg

さて、さらに東へと向かいましょう。  

035m.jpg 036m.jpg

大分、都市化が進んできていますが、

まだまだ田舎という感じ  

038.jpg

 そして、ところどころに、

由緒ある建物や祠などが現れます。

022.jpg 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
メッセージを送る