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赤い鳥 [音楽]

先日、「赤い鳥コンプリートコレクション」というCD12枚組のボックスセットを手に入れてしまいました。

1969年の赤い鳥デビューから解散までの5年間に、
彼らが発表したオリジナルアルバム11枚と、
レア音源を集めたCD1枚が収められたファン必携の品です。


赤い鳥 コンプリート・コレクションボックスとなると、さすがに値が張るので長く逡巡していましたが、
渋谷の黄色いCDショップの棚に置かれていたので、
カミサンの怒る顔を目に浮かべながらも
ついつい手が伸びてしまいました。

五つの赤い風船、かぐや姫、チューリップ、アリスなど、
60~70年代のフォーク・ロックグループが
一時とはいえ再結成される中、赤い鳥だけは一向にその気配がありません。

70年代初めの「赤い鳥」は彼らよりも人気グループだったのに、
忘れられているようで寂しい気持ちになります。

近年、テレビに登場する「赤い鳥」は、
「竹田の子守歌」「翼をください」を歌っていたフォークグループ、
あのオフコースがコンテストで敗れたグループ、など
断片的な部分しか紹介されません。

こうした扱われ方にフラストレーションが貯まるファンも多いのではないでしょうか。
私もその一人です。

そんな赤い鳥のデビューから解散までの軌跡を聴いてみました。

改めて彼らの偉大さを再認識したわけですが、
この雑駁なブログもあることだし、
赤い鳥について書き記しておこうと思います。

赤い鳥が結成されてから今日まで約40年間。
彼らをアナログで応援しているファンの方には違和感のある記事かもしれませんが、
ニワカファンの雑感ということでお許しいただきたいと思います。

続きを読んでやってもいいよ


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追きゅう [言葉]

「・・・原因を追求する。」

ありゃ~、漢字を間違えてるよ。
この場合は「原因を追究」が正しいんでしょ?
訂正しておかなきゃ。

追求」は、利益を追求するとか、理想を追求するとかいうとき使いますね。

メディアが好きなのは責任「追及」。

こんなふうに、「追きゅう」の漢字は何かと間違いやすい。

他にあまり使われませんが、
給料が後から払われる「追給」という言葉もあります。

ならば、「年休」や「代休」のように、「追休」というのもあってよさそうです。

遅れて何かするという意味では、
授業の遅れを取り戻す「追級」も一部で使われているようですね。


この「」という字が付く言葉は、イマジネーションが膨らみやすいですね。

必死に追いかけたり、追われたり、
何かにこだわる人間の姿が頭に浮かんできます。

そんなことを考えていたら、
他にもたくさんの「追きゅう」があってもいいのではないかと思いました。

たとえば・・・

追球 : 私は、右中間を抜けテンテンと転がるボールを
      必死に追いかける高校球児の姿が浮かんできます。

追旧 : 古いことを追いかけることかな?
      このブログの管理人の趣味みたいなものでしょうか。

追九 : 「九蓮宝燈」の聴牌までもう少しなのでドッキドキ!
      みたいな感じでしょうか?上がれば「遂九」?
      しかし、近年麻雀の役や点数をわかる人が激減しましたね。

追鳩 : ブラック魔王。

追丘 : 坂の下から見上げるタモリ。

追Q  : シドニー五輪のリディア・シモン

追吸  : 先に吸ったのはあいつだ!!・・・みたいな?   

追窮  : 本来は追究と同じ意味ですが、
     一向に改革が進まず、経済が弱体化していく
     どこかの国のことを指す言葉のようです。


漢字はおもしろいですね。
 
もっと、こんな風に自由に漢字で単語が作れれば、
国語も楽しくなると思います。

楽しく勉強すれば、偉くなった時に漢字でバカにされないで済むかもしれません。


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ミュージックスカイホリデー 2009 [ラヂオ]

2年ぶりに、そらまめさんの声が聴けました。

今の時期、ラジオ局は「スペシャルウィーク」とか呼び、
聴取率アップのため、特番を組みリスナー確保に躍起になっているそうです。

関東では、ニッポン放送が「ミュージックスカイホリデー2009」と題し、
そらまめこと滝良子さんの番組を復活させました。

「全日空ミュージックスカイホリデー」は、
1976年から84年まで、日曜の夜に放送していた
ニッポン放送の人気番組です。

2年前に一度復活し、そのときも感動しましたが、

今回も激しく感動しました。

私は当時、この番組をあまり聴いたことがありません。
そらまめさんについての記憶は、「ミュージックスカイホリデー」以前のもの。
TBSラジオの深夜放送、そらまめパック時代です。

でも、今日はそのお声が聴けるだけで満足。

若いころの弾けた感じはなくなったものの、
体がフワッと軽くなる、
すきとおった青空のような美声はそのままでした。

夕方5時半から聴いていましたが、
番組へのメールは20数年前を振り返るものばかり、
リスナーの年齢層も30~40代前半までが中心といった印象。
ああ、そらまめパックは有史以前の話なのかァ、

ため息をついていたら、
8時を回ってから、
そらまめさんが、ミュージックスカイホリデー以前の話を始めました。

熊本放送の局アナからフリーなり東京へ出てきたこと。

ある日、TBSテレビの「お天気メモ」で、時間が余って困ったこと。

その困ったときの顔が、当時のTBSラジオの伊藤直樹ディレクターの目にとまり
「深夜放送をやってみませんか」と誘われたこと。

その伊藤ディレクターに「ニックネーム」はないかと聴かれ、
「ソラマメみたいと言われたことがある」と答えたら
「それがいい!ソラマメでいこう」と、
それから、そらまめこと滝良子という肩書になったこと。

等々。

伊藤ディレクターに見出され、
パックインミュージックで放し飼いのように好きなことをやっていた。
その土台があったから、ミュージックスカイホリデーから今につながっている。

プライベートの話も大分されていました。

そんな話を聴いていたら、
30年以上の年月が一本の線でつながってしまいました。
その時間帯からエンディングまでは、
そらまめパックが復活したかのような感覚で、
涙が出そうになりましたよ。

また放送してください。

久しぶりにいい番組を聴きました。


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ナンセンストリオ [お笑い]

朝刊に、元ナンセンストリオの前田隣さんの訃報が載っていました。 

1960年代でしょうかね。

テレビをつけると、演芸番組ばかりの時代がありました。
牧伸二司会の、「大正テレビ寄席」、
人気落語家揃いの大喜利「末広珍芸シリーズ」が目玉だった「日曜演芸会」
「笑点」も、そのころに若手落語家を登用してのスタートだったと記憶しています。

漫才師も多く登場しました。
てんやわんや、千夜一夜、ピーチクパーチク、チックタック、Wけんじ・・・

懐かしいですねェ。

当時、特徴的だったのはトリオの流行でしょう。
演芸番組によく出ていた三人組といえば、

てんぷくトリオ
もう伊東四朗しか残っていませんが、
年配の方は、口の周りに墨を塗り、間抜けな盗賊に扮した
三波伸介の顔を覚えているでしょう。 
びっくりしたなァ もぅ~

トリオ・スカイライン 
アズマックスの父、東八郎が唐突に歌う「こもろ~~!」が受けました。
小島三児のボケも売りでした。

トリオ・ザ・パンチ
コント中心で決め台詞は、リーダー内藤陳の「ハードボイルドだど
ハイセンスだが、子供は笑えなかったです。

ギャグメッセンジャーズ
コント中心だが、特に決め台詞がなく、説明が難しいです。
というか、どういうネタだったか思い出せません。

天兵トリオ
メンバーの一人が女性だった。コントというより軽演劇だった記憶があります。

そして、ナンセンストリオ

この三人も、演芸番組にはひっぱりだこでした。
前田さんは三人の中ではヒョロッと背が高く
忍者の扮装にちょび髭
 

親ガメのぉ~背中に小ガメをのせてぇ~
小ガメのぉ~背中に孫ガメのぉせぇてぇ~
孫ガメのぉ~背中にひ~孫ガメのせてぇ~
親ガメぇ~こけたらぁ、
コガメマゴガメヒーマゴガメコケタ。

前田さんが最後の早口言葉をとちっては、リーダーにピコピコハンマーで叩かれる。

それだけのネタなんですけど、当時は大笑いしました。

毎年、櫛の歯が抜けるように、
当時の芸人が去って行ってしまうのは淋しいですね。

冥福をお祈りいたします。


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なかもず [雑感]

大阪へ行ってました。

 

たまに東京から大阪へ行くと、

駅のエスカレーターの並びが右だったり、

電車の停車位置で整列しないカオス状態があったり

      2009021302.jpg

微妙なパラレルワールド感に軽いめまいを覚えます。


新大阪駅で新幹線を降りると、
市の中心へ行くため地下鉄御堂筋線に乗り換えます。

で、この御堂筋線ですが、
最近、終点の「なかもず」というひらがな表示が気になっています。

「中百舌鳥」でいいじゃん。

私、東京生まれ東京育ちですが、ホークスファンなので、

「なかもず」は南海ホークスの二軍本拠地の球場があった場所のイメージです。
実際に行ったことはありませんが、
水島新司の「あぶさん」にも登場するので知っています。

なぜ、ひらがな表示なんですかねェ?

ホームに入ってくる電車に、
「中百舌鳥」と書いてあった方がカッコイイと思うのですが・・・。

御堂筋線の駅では「なんば」と「あびこ」もひらがななんですね。


      2009021301.jpg

もし、関東の人間が読めないのではと気を使っているのならば、
「あびこ」についてはその心配はありません。
常磐線に我孫子駅があるので、100%読めます。

難波も読めます。

大阪の市営地下鉄は、難しい読み方の駅名を
ひらがなにしているのではないか?

そう思い、大阪市交通局のサイトをみたら
そうでもないんですねェ。

今里筋線に「鴫野」という駅がありますが、
難易度は「中百舌鳥」と変わりませんよね。
谷町線の、「野江内代」「喜連瓜破」なんて読めるわけがない!!

天下茶屋だって東京人は読めませんよ。
東急世田谷線に三軒茶屋(さんげんぢゃや)駅があるので、
関東人のほとんどが「てんかぢゃや」と読んでしまうと思います。

こういう難読漢字の地名や駅名には、
東京下町では小さい子供でも「御徒町」が読める
みたいな面白さがありますね。

金本放出!!へ行く

を、最初から「はなてん」と書いてしまったら、
月亭八方師匠も困惑するでしょう。。。


支離滅裂な記事になってしまいましたが、


「なかもず」は漢字でいいんじゃないすか?

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芝區を歩く③ 芝公園、三田、泉岳寺 [タイムスリップ]

100年前の写真の現場へ行ってみよう
「タイムスリップ 定点比較シリーズ」
東京市芝區=現在の港区を北から南へ歩いています。

撮影したのは2月7日。
芝東照宮の梅がちょうど咲き始めたところでした。

2009020731.jpg

芝東照宮は、芝公園内にありますが、
この公園には、日本有数の丸山古墳があります。

この付近にはたくさんの古墳があったそうですが、
江戸時代、早い時期から市街化されたことから、
実態がよくわかっていないようですね。

下の写真は、芝公園の南側の道路で、右の小山が丸山古墳です。

ここは昭和40年代に道路拡張のため斜面を削りましたが、
その工事中、ここで遊んでいたらたくさんの貝が出てきて、
驚いたことがあります。

2009020735.jpg

現在ホテルになっているこの場所には、
ボウリング場とゴルフ練習場がありました。

ここも一部古墳の山を削っています。

徳川の菩提寺だった増上寺の境内は、

明治政府の公園化の名のもとに、切り刻まれてしまったんですね。

2009020736s.jpg 2009020737s.jpg


赤羽橋です。

東京タワーの絶景ビューポイントの一つ。
地下鉄大江戸線の駅ができてからは、
ここから東京タワーへ向かう人が増えました。

2009020753.jpg

その赤羽橋のそばには、大きな病院が二つあります。

リリーフランキーの小説、「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」
の中で主人公の母親が入院しますが、

すぐこの済生会中央病院を思い浮かべました。

2009020754.jpg

赤羽橋より一本西、中の橋寄りにも、大きな病院があったので
どっちかな?と思いながら小説を読んでいましたね。

かつて「専売病院」と呼ばれていたこちらの病院は、建物も新しくなり
現在は国際医療福祉大学三田病院になっています。

2009020755.jpg

さらに、この病院の横を走る道。
中の橋交差点から三田の高台へと左折したところの、

この写真の景色ですが、

2009020782.jpg

同じ場所で撮影された幕末の写真が残っています。

長崎大学付属図書館のウェブサイトに超精細な写真がありますので、
比べてみてください。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4014

写真右の一帯は、江戸時代には大名屋敷でしたが、
昭和時代は低層の住宅街になっていました。

現在は再開発で高層のマンションを二棟建設中です。

もし、当時のカメラマンが現代にタイムスリップしてきたら、
青い高層ビルを見上げて口をアングリとさせたでしょうね。

20090209 nakanohasi.jpg  2009020785.jpg

2009020786.jpg

三田の高台は、江戸時代から道路付きが変わっていません。

綱町三井倶楽部(写真下)、イタリア大使館、簡保の建物(写真上)など、
この一帯は、丸ごと博物館のようです。

しかし、開発業者の魔の手が伸びてきているので心配。

ちなみに、三井倶楽部の東側の坂道も、古い写真が残っています。
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=5368

2009020763.jpg 


丘の東南に位置する慶応義塾大学。
下の写真は、三田通りから正門を撮影した写真です。

20090209 keiodaigaku.jpg

2009年はこうなっています。

2009020764.jpg

この場所を昔から知る年配の方は、
今の写真の方が違和感があるかもしれませんね。

横のタバコ屋さんや、正門に向かうスロープがある風景は、
最近まで保存されていました。

2009020766.jpg


このビルが出来てから、三田通りから、
丘が全く見えなくなってしまいました。

2009020787.jpg


さらに、南下。

三田二丁目から、高輪方面へ聖坂を上がると、

丘のテッペンに亀塚公園があります。

ここは、公園のなかに小山がありますが、亀塚という古墳です。

2009020769.jpg

この付近は、下を走る第一京浜国道とかなりの高低差があり、
この公園からも、東京湾が一望できたのですが・・・。

ビルの壁しか見えません。

さびしい・・・。

2009020788.jpg  2009020789.jpg


高輪との境界。

伊皿子の交差点です。

2009020775.jpg 

伊皿子(いさらご)とは、変わった名前ですが、
江戸時代から呼ばれている古い地名なんですね。

港区の解説によれば、
更科日記の「いいさらふ」が「いさらご」になったとか、
インベイスという名前の明人が住んでいたことに由来するとか、
諸説あるそうです。

ここにはこんな記念碑があります。

2009020774.jpg

伊皿子の坂を下り・・・


最後は泉岳寺。

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泉岳寺は、何といっても、赤穂浪士。

忠臣蔵四十七義士が葬られていることで有名です。その、義士のお墓です。

明治時代末期。

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2009年2月。

2009020778.jpg

いかがでしょう?


「芝區を歩く」編はこれでおしまいで~す。


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芝區を歩く② 紅葉山から芝東照宮 [タイムスリップ]

明治時代の東京を写した写真の現場へ行ってみるシリーズ。

芝區(=現在の港区)を歩いています。
 

 

愛宕山の南は、江戸時代、丘を削って作った切通しがありました。

現在は、その辺りに神谷町と御成門を結ぶ大通りが走っています。
明治の時代になり、その切通しから坂を上がったところに、
「和蘭(オランダ)公使館」が建てられました。

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そして、平成の時代もオランダ大使館です。

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門も建物も、改修されていますが、
道路付きも同じだし、当時の面影が残っています。

明治45年ころ、アメリカ、イギリス、ロシア、ドイツ、オーストリアなど、
ヨーロッパの列強と呼ばれた国々は、東京に「大使館」を置いていました。
オランダだけ、なぜ「公使館」?

元首が派遣するのが大使、外務大臣が派遣するのが公使?
格の違い?

不勉強で、大使と公使の区別からしてよくわかりませんが、

何か理由があったんでしょうね。

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大使館の隣は、芝給水所。
こちらも、オランダ大使館同様、100年以上の歴史があります。

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現在は、給水所の上が公園として整備されています。
ここで遊ぶ外国人のお父さんと娘さんをみかけましたが、大使館の人かな?

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さらに南へ歩くと、紅葉山と呼ばれていた山の上になります。

ここには「紅葉館」という日本料理店がありました。

「紅葉館」は、明治14年に開館した日本料理屋です。
名士の社交場として知られ、300人の会員がいたそうです。
一回の宴会の費用が1円だったそうで、当時の1円といったら
現在の数十万にあたるでしょうね。

だだっ広い庭園があったそうです。

写真はコチラ
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この「紅葉館」の写真の現場は、現在 

2009020745.jpg

 

東京タワーです!! 

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紅葉山は、徳川二代将軍秀忠が、江戸城から楓などの樹木を
この地に植えかえたことからその名前があるそうです。

しかし、この近所の人から、紅葉山という名前は
聞いたことがありませんでしたね。
 

2009020743.jpg

東京タワーの前の記念碑。

日本中が感動した南極観測でのカラフト犬、タロとジロのストーリーが、
わかる人は結構ご年輩でしょう。

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東京タワーは、建設されてから50周年。

かつては、東京の各所からその姿を眺めることができましたが、
最近は高層ビルに遮られ、目立たなくなってきました。

しかし、芝へ行くと、まだまだいいビューポイントが残っています。
左は芝プリンスホテル、右は増上寺の本殿です。

2009020718.jpg 2009020721.jpg

さて、山を下り、日比谷通りへ出ました。

写真は、御成門側から、増上寺の山門方向を見た景色です。

20090209 shiba.jpg

現在も、人力車はなくなりましたが、雰囲気は残っていますね。

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増上寺は、関東浄土宗の本山。

徳川家の菩提寺として隆盛を極めたお寺です。

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明治末期の写真。

増上寺というのですが、どこを写したのかわかりませんでした。

20090209 zojoji.jpg

写真の解説には、

「明治7年及び42年の両度に炎上して昔時の建築物は今唯山門を存するのみ」

とあります。古写真の頃は、本殿がなかったんでしょうね。

2009020722.1.jpg

増上寺の周辺は、芝公園と呼ばれていますが、
日比谷公園や上野公園と比べると、
敷地内にゴルフ練習場やプリンスホテルがあり、
公園らしくないと思っていました。

それもそのはず、増上寺の境内を明治政府が公園地に指定したため、
お寺の敷地が相当削られてしまった経緯があったそうです。
今も、公共の土地という感じがしません。

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お次は、増上寺の山門のすぐ南にある芝東照宮です。

20090209 toshogu.jpg

ここの祭神は徳川家康です。

4大東照宮の一つだそうですが、
ここは、私の子どものころからひっそりした社という印象がありましたね。

元は増上寺の社殿だったそうですけど、
そう考えると、増上寺の境内は相当広かったんですねェ。

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芝區を歩く① 金刀比羅宮から愛宕山 [タイムスリップ]

明治45年発行の「東京名勝図絵」という写真集の
撮影された現場へ行ってみようという
「タイムスリップ 定点比較」シリーズをやってます。

この写真集を見ていると、
現在の港区の一部にあたる芝區の写真が多いんです。

そこで、その芝區を北から南へに縦断しながら、
写真の現場を歩いてみました。

第一回は、金刀比羅宮から愛宕山。 

現在の港区は、芝區、赤坂區、麻布區が統合したものです。
そのうち、芝區は北は虎の門から南は品川までの南北に細長い区でした。

明治時代は東京15区。
そのうち三区が現在の港区に含まれます。
古くから町として開けていたんですね。

虎の門の金刀比羅宮です。
毎月10日には参拝者で大賑わいだったそうです。

20090209 kotohiraguu.jpg

 

2009020703.jpg

同じアングルの写真は、隣のビルの二階から撮影しないと駄目でした。。

金刀比羅宮は、大物主神(おおものぬしのかみ)、朱徳天皇(すとくてんのう)を祀った神社です。

私はこれまで一度もお参りしたことがありませんでした。
この日は、休日で閑散としていましたが、普段は霞が関に近く、
開運祈願の参拝者訪も多いようですね。

虎の門 金刀比羅宮のウェブサイトに、当社の歴史についての解説があります。

万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。(中略)
 当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
 ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。

しかし、この由緒ある神社も高層ビルの真下。

神様たちはどう思っているんでしょうかね。

2009020705.jpg 

桜田通りを南へ歩き、現在の地名で、虎の門から愛宕へ向かいます。

虎の門三丁目から愛宕山へ向かうあたりは、
映画「三丁目の夕日」の舞台のイメージとなった場所の一つと聞いています。

しかし、現在では昭和の面影を残す町は完全に壊滅状態です。

地上げ途中の土地と、高層ビルばかりが目につきます。

 

2009020707.jpg 2009020706s.jpg

愛宕山は都心にある独立した小山です。

標高25.7mだそうです。

関東平野といいますが、東京はデコボコした土地にある大都会です。

2009020713.jpg


有名な愛宕神社へと上がる男坂。

坂じゃなくて、階段じゃん! 

と言いたくなりますが、東京には〇〇坂と呼ばれる階段がたくさんあります。

2009020713.5.jpg


こちらは女坂。

2009020710.jpg

写真の状態が悪いのですが、明治末期の男坂です。
一生懸命、登っている人がいますよ。

    20090209 atago.jpg

   2009020712.jpg

階段の上から。

子どものころ、急なこの階段を上るのは結構怖かったです。

2009020709.jpg


江戸時代、愛宕山はお花見の名所であると同時に、
江戸の町を一望できる絶景ポイントでした。

愛宕山の写真では、明治から幕末に遡り、
フェリックス・ベアトの写真が有名です。

その撮影された場所から比較してみたいのですが、edo.jpg

現在は木が生い茂りよく見えません。

ベアトの写真では、左から右へ斜めに延びるまっすぐな道が目だちます。

大名屋敷の間を走る、薬師小路と呼ばれた道だと思いますが、
現在、博物館の前庭から降りるエレベーターから正面に見えるこの道は、
その一本南の道でしょう。

2009020716.jpg

ただ、いずれにしても、今は愛宕山が高層ビルに囲まれつつあります。

江戸時代の眺望を望むのは無理な相談でしょう。

愛宕山の西側にも、新たに放送博物館を見下ろすように
高層マンションが顔を出しました。

文化って一体何なんだろう。

愛宕山へ来るといつも考えさせられてしまいます。

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アキバキティ [キティ]

一時、大流行していたご当地キティちゃん。

今も東京ものだけ細々と集めていますが、

それにしても、これは久々に強烈ですねェ。

      kitty aikba.jpg

kitty akiba3.jpg 迷彩柄のバンダナに黒縁のメガネ。

 右手におでんの缶。

 左手はAKIBA[黒ハート]の紙袋。

 ピンクに「萌」の字Tシャツをズボンに入れ

 白いスニーカーを履いている。

 リュックサックにはポスターが二枚。

 
kitty akiba4.jpg kitty akiba5.jpg

よくやるよ。(笑)


最近、中野も登場しました。

      kitty nakano.jpg

秋葉原ものでは、他にメイド喫茶やメガネっ娘バージョンなどもあります。

もう古い記事になりますが、

山手線シリーズをやったことがあって、コチラには今もボチボチ追加しています。
興味のある方はどうぞ。

山手線とキティちゃん2
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2005-05-10

ついでに、東京メトロも

東西線とキティちゃん
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2005-11-02

丸の内線とキティちゃん
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2007-09-07


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