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TOTO JAPAN TOUR 2014 [音楽]

日本武道館のTOTOのライヴへ行ってきました。

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デビュー35周年を記念したツアー

35年前、初めてTOTOを聴いたときは、
高い演奏技術で、
新しい大人のロックを追究しているグループという印象でした。
ジャズ、ソウル、音楽のいろいろな要素を採り入れ、
スティーリー・ダンをさらににスピードアップしたような、
カッコよさがありました。

80年代には、彼らに影響を受けたと思われる作品が数多く作られ、
J-POPでも、いつしか、TOTO風が珍しくなくなってしまいました。

今回の日本ツアーのメンバーは、
スティーヴ・ルカサー(ギター,ヴォーカル)、スティーヴ・ポーカロ(キーボード)、
デヴィッド・ペイチ(ピアノ、ヴォーカル)
のオリジナルメンバー3人がいます。
彼らに加え、3代目ヴォーカルのジョー・ウィリアムズ。
ドラムス、ベースは、オリジナルメンバーでは、ジェフ・ポーカロとマイク・ポーカロの
ポーカロ3兄弟の2人が担当していましたが、
ジェフはすでに故人、マイクも難病を患い自宅療養中のため
キース・カーロックとネイサン・イーストが参加しています。
他にバックヴォーカルに、アニー・キース、マヴト・カーペンター、
都合8人のステージでした。

会場は、変な意味でなく、男二人組が多かったです。
バンドメンバーで誘い合わせて来たという感じ。

40~50代の働き盛りオッサン比率が高かったです。

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演奏について、TOTO信者ではないニワカな私が語るのも僭越ですが、

 でした。

スティーブ・ルカサーのように、
縦横無尽のギタープレイができたら、
いいですよねぇ。

無理ですけど。

バンドを一度離れたメンバーが、
難病のマイクのために復帰。

ステージの両サイドで、S・ポーカロとD・ペイチが向かい合わせで
キーボードを演奏する姿は貴重かもしれません。

名曲”ロザーナ”では、
ルカサーのカッコいいギターソロに加え、
中盤のS・ポーカロのシンセサイザー、
アウトロでのアドリブを入れたD・ペイチのピアノソロ

しびれました。

場所が日本だからといって、特に媚びることなく
欧米でのライブ同様、MCも普通に英語で、
使用する日本語は「おめでとう(?)」と「ありがとう」程度

とにかく、余計なことを考えず、
おれたちの音楽を楽しんでくれ!!
というスタイルのライブでした。

途中、ジョーの父親、大作曲家のジョン・ウィリアムス紹介で、
ルカサーが「ジョーズ」のテーマを弾き 
ジョーが「未知との遭遇」の信号音を口ずさむ
ご愛嬌シーンがありましたが、

あとは至ってシンプル。

ステージも後方に35周年のアニバーサルアルバムジャケの
がい骨?とTOTOのトレードマークの剣をあしらった絵の大幕を垂らしているだけ、

それがライブ終盤、
Hold The Lineのイントロが始まった途端、
ササーッ!と、デビューアルバムのジャケの絵に変わる
一気に35年の歳月を遡る、
この演出はさすが。
「おおお」と感動しました。

デヴィッド・ペイチも、齢をとって身体が丸くなり、
動きが悪くなったものの、
いい味を出していました。
フエルトの帽子を被った安西先生がピアノを弾いている感じ?

演奏しながら、手持無沙汰のジョー・ウィリアムスに肩をマッサージされていました(笑)


他にもいろいろありましたが、

4月28日は、大人のロックを堪能しました。

行って良かったです。

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大久野島へ行く 後編 毒ガスの島 [旅行]

大久野島へ行く 後編です。 

大久野島は、
前編で紹介した「うさぎの楽園」という顔とは別の
もう一つの顔があります。

それは、かつてこの島に毒ガス製造施設があったという
影の顔です。

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島は、明治時代に旧陸軍の要塞として使われ、
昭和時代に、ここに毒ガス製造工場が建設されました。
それらの多くは、第二次世界大戦後に破壊されましたが、
その一部が、今でも当時のまま残されています。

東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本の毒ガス工場として、昭和4年に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊されました。この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリットの生産に重点が置かれていました。(毒ガス障害死没者慰霊碑抜付加)
【大久野島 毒ガス資料館 パンフレットより転記】

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(軍幹部用防空壕)

毒ガス資料館には、
毒ガス製造工場の歴史、運命、製造に使用された器具などが、
展示されています。

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日本人のほとんどは、
日本が戦時中に毒ガスを製造していたことを知りません。
そんなこと、学校で教えませんからね。

第二次世界大戦前、
この島の存在は、国家機密になっており、
海外からの批判、攻撃を避けるため、
地図から消されていたそうです。

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毒ガスを製造し、使用したという事実は、
旧軍関係者以外には知らされず、
その実態が明らかになったのは1984年。

終戦から40年近く経過してからでした。

イペリットという毒ガスの製造過程で、
多くの工員に痛ましい被害者が出たとのことで、

正直、目をそむけたい話だし、
あまりいい気分がしませんが、
こういう負の遺産も、しっかりと目を開けて
見ておく必要があると感じました。

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こちらは、島の西にある、
三軒家毒ガス貯蔵庫跡

ここの巨大なタンクに、
工場からガスが送り込まれていたとのことでした。

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工場や貯蔵庫の建物のほとんどは破壊され

現在は国民休暇村のテニスコートなど
敷地はスポーツ施設に変わっています。

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島の北西にある貯蔵庫跡。

この不気味な廃墟の中から、 

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ウサギくんたちが、ピョコピョコと走り寄ってきました。

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ここがどんな場所だったか、
彼らにわかるはずはなく、

廃墟の壁の黒さと、彼らの無邪気さとのギャップに
戸惑いを覚えます。

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島を北へ、

北部砲台跡へ行ってみました。

ここは毒ガス工場とは無関係

日露戦争開始前の1902年、
大久野島には軍の要塞が築かれました。
北部、中部、南部、
島の3か所の砲台に22門の大砲が設置されていたそうです。

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赤レンガに歴史を感じます。

この砲台には、24cmの加農(カノン)砲が設置されていた・・・

カノン砲とは、今で言う、キャノン砲のことでしょうか?

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昼間とはいえ、しんしんと雨が降り注ぎ、
私以外、訪れる人はいない。

ここで、島に来るときのフェリーで乗り合わせた女子高生たちの
「島はおばけが出るって噂だよ」
という会話を思い出し、少しいやな気分になりました。

要塞には、部屋の跡など、暗闇が多くあるので、ちょっと怖い。
夜はとても一人では来られませんね。

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次に、中部砲台のある、山頂を目指し階段を上りました。

途中息が切れ、ふと上を見上げると、
予想以上に高さがあることに気づき、引き返そうかと思いましたが、

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上りました。

標高は100mほどですが、
重たいリュックを担ぎ、傘をさしながらで、
急な階段を一気に上るのは正直きつい。

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これが、山頂からの眺め

天気が良ければ、絶景だったんですがねぇ。

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こんな山の上にも、ウサギ君の姿が。

低地のウサギたち同様、人間を見つけると近寄ってくる。
この行動は、もはや、DNAレベル。

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中部砲台跡です。

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古代の遺跡みたい。

環境省が設置した解説板によると、

中部砲台も、100年以上前、
旧陸軍によって築かれたもので、

ここに置かれていた大砲は、
第一次世界大戦のときに取り外され、
戦地で使用されたとのことでした。

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使われているレンガは、
ロシアから輸入されたもので、
立派な明治時代の記念物。

世界遺産レベルですよ。

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そうこうしているうち、戻る船の時間が近づき、
急いで山を降りることにしました。

山頂から船着き場へは、
クルマで下る道路がありますが、
ジグザグに迂回しているため、
斜面を直角に、近道をすることにしたのですが、これが運の尽き。

途中で道に迷ってしまいました。

誰にも会わないし、聴こえるのは波の音だけだし、
人っ子一人いない、廃墟を見た直後だっただけに、

冷たい汗が流れましたよ。

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やっと、舗装道路に出て、ホッとし、

歩きだしてしばらくして、下の廃墟が現れました。

旧陸軍の発電所跡です。

何ともいえない不気味な建物。

立入禁止ですが、とても中に入る勇気は起きません。
まさか、肝だめしに使っていないだろうな。

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最後は、明治時代に使用されていた桟橋跡。

敷き詰められた赤レンガに歴史を感じます。

島に毒ガス工場が設けられてからは、
その秘密を守るため、本土から見えるこの桟橋は使用されず、
南側の桟橋が使われたとのことでした。

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というわけで、2時間ほどの滞在でしたが、
考えさせられることも多く、濃い時間を過ごしました。

ウサギたちの愛らしさと、毒ガス施設の醜悪さと、
光と影の部分を同時に見たため、
楽しさと恐怖が入り混じった変な気分になりましたが、

面白かったです。

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大久野島へ行く 前編 うさぎの楽園 [旅行]

瀬戸内海に浮かぶ小島。

大久野島へ行ってきました。 

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広島でサッカー観戦をした翌日、
帰りのフライトまでの時間をどう使うか、

いろいろ情報を集めているうち、
広島空港から割と近いところに、面白い島があると聴き、
行ってみることにしました。

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早朝広島を出発、

広島駅からJR呉線に乗り、
フェリーが出る忠海駅まで約2時間、各駅で移動。

JR呉線は日本有数の絶景路線だそうで、
天気が良ければ、青い海に浮かぶ瀬戸内海の島々が望めたはずなのですが、

生憎の雨。それもどしゃ降りでした。

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忠海駅に到着。

駅からフェリー乗り場までは、南に向かい、
コの字を描きまがら、JR呉線の踏切を渡り、
10分ほどで到着します。


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ここから、大久野島へ渡ります。

島へは客船とフェリー、どちらでも渡れますが、
フェリーはその先の大三島まで行くクルマ用で、
大久野島へはクルマで乗り入れできません。

私が乗船したフェリーは、
大久野島にある唯一の宿泊施設である
国民休暇村へ合宿に行く地元の高校生たちと一緒でした。

聴けば、この日忠海は「宮床まつり」という祭りだそうで、

地元の祭りの日に合宿に行かすとは、
随分と野暮なことをする学校だと思いましたが、

もしかしたら、祭りで悪さをしないよう、
隔離するのかもしれませんね。(笑)

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引率している先生は、お見かけしたところ、
言うことは厳しいが、根は優しい
いい先生という印象でした。

顔が元阪神の佐野にそっくりでした。

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そんな、高校生の一団に混じり、
忠海を出て約15分。

大久野島に到着。

さて、この大久野島ですが、

この島は、光と影と呼ぶべき、二つの顔があります。

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一つは、この島が「うさぎ島」と呼ばれる理由。

至る所に野生のウサギがいる、

ウサギの楽園の島 という顔です。

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桟橋に着いて、島に降り立つと、

すぐに、ウサギたちが出迎えてくれます。

やたらと、人懐っこい。

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人間をみつけると、つかつかと寄ってきて、

二本足で立ち、

前足をプルプルとさせ、

なんかちょーだい とポーズをとります。

それが、信じられないくらいカワイイ。

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激しい雨が降っていましたが、

こりゃおもしろそうだわいと、

可愛いウサギたちを観察しながら

周囲4キロほどの島を散策することにしました。

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大久野島には、放し飼いのウサギが約700羽いるそうです。

1971年に、島の外で飼われていたウサギ8羽を、
この島へ放したところ、繁殖し、今の数になったとのですが、
戦前から実験用に飼育されていたウサギが野生化したのではないか、という説もあるそうです。

しかし、そんなことは、どうでもいいや。

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とにかく可愛い。

特にウサギ好きでない私でさえ、

この前足プルプルの立ちポーズには、

癒されました。

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島は肉食動物の持ち込み不可。
犬は一匹もいません。
天敵がいない。

ウサギたちが道路に出てくるため、
許可されたクルマ以外は島に入れないなど、

ウサギたちは、手厚く保護されています。

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島唯一の宿泊施設である国民休暇村に隣接する
広場や前庭では、

ウサギたちがコロコロと遊んでいました。

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下のウサギ君は、
ネットの向こうでしばらく私を見つめ、

「ネットでこっちに来れなくて残念だね」 

とからかったら、破れ目からするりと抜け出てきました。

意外と賢い。

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とにかく、人間を見つけると、

「食い物にありつけるぞ、行けー!」

てな感じで、何処に行っても

ウサギたちが走り寄ってきます。

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また、彼らを観察していると、

いろいろな性格をしたウサギがいて、

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遠慮がちに食べ物をくれと云うやつ、

やくざのように、くれよと迫ってくるやつ、

あきらめてすぐにスタコラ引き上げるやつ、

二本足でいつまでも立ち続けるあきらめの悪いやつ

いろいろです。

ちなみに、こいつは、「紋次郎」と命名しました。

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島を、30分も歩くと、

何処にいてもウサギがくっついてくるので、

さすがに鬱陶しくなってきます。

しつこい呼び込みをよけながら歩く繁華街を歩いているような

仕舞いには

おまえらは、ウサギとしてのプライドはないのか!!

そう呟いていました。


(後編に続く)

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馬場こずえの深夜営業 [ラヂオ]

1970年代、TBSラジオの土曜深夜
「馬場こずえの深夜営業」という番組がありました。

真夜中にバーボンを片手に、
たばこをくゆらしながら・・・といった雰囲気で
選曲はウェストコースト中心
馬場さんの裏表ない人柄がにじみ出た、
知的でちょっとおしゃれな番組でした。

9年前、メモ代わりに書いたつもりのこの記事

こずえの深夜営業

に、100件近くのコメントをいただきまして、
それが今も続いていて、重くなってしまいました。
そこに馬場こずえさんに関する貴重な情報が多く含まれていることから、
改めてここにまとめてみました。

頂戴した情報は、基本的にはそのまま転載しています。
記述に誤り等あればご指摘いただけるとうれしいです。

新しい情報があれば、随時更新していきます。

*******************************


1.NHK 若いこだま

こずえさんは、深夜営業を担当する以前、
1970年ころNHKの「若いこだま」火曜日の担当でした。

1970年ごろ彼女は火曜日の担当で毎週ゲストを招いての対談でした。この頃は夜10時30分からの30分番組だったと思います。ゲストに北山修が出たことがあり、そこから木曜パックの存在を知ることになるのですが。
1971年ごろになると15分延長されて夜10時のニュースが終わってからの10時15分開始となります。彼女は今度は月曜担当となり一つのテーマに関してデンスケをかついで渋谷の雑踏で街頭インタビューを始めます。1972年頃になると街頭インタビューはやめて全てスタジオ収録となります。

こずえさんはジャズっぽい曲が好きだったみたいです。
曲名もプレーヤーも今となってはわかりませんが、メロディー自体はいまでもよく覚えています。
トランペットがよくきいたインストルメンタルの曲をよくかけていましたね。
あと、サイモン&ガーファンクル、CCR、CSN&Y、メラニー、ジリオラチンクエッティー、ミッシェルポルナレフあたりもよくかかりました。

何度かこずえさんに葉書を読んでもらいました。
ラジオから自分の書いた内容がNHKで全国に紹介される瞬間というのはなんか背中がぞくぞくする感じがしましたね。
次の日学校で誰かに何か言われたらどうしよう、などと多少有名人になったような気分であくる日学校へ行くと、結局誰も聴いてなかったという現実にがっかりした記憶があります。

毎日夕方6時45分からNHK総合テレビで、その日のよるの番組を紹介するコーナーがありました。
6時からの子供番組と6時55分からの天気予報に挟まれたこの番組はいつも生放送でした。
あるときラジオの「若いこだま」をこのコーナーで紹介する週があり、馬場こずえさんを初めてテレビで拝ませてもらいました。とても普通の顔のお方で、多分街の中で出会ったとしても、気づかずに通り過ぎてしまうタイプの方でした。
こずえさんの次の日だったと思うのですが、森直也さんの番になって、大変な事が起きてしまうのでした。
もともと森直也さんってちょっと斜めに構えているところがあって、自分の番組紹介を普通に紹介したらつまらないと思ったのでしょう。ちょっと一般受けしないものを放送してしまいました。
自分の番組の一部を録音したものを流し、その間、画面はオープンリールのテープレコーダーが回っているところを延々と映し、そして新聞を広げている森直也さんを映し(森直也さん自身は新聞に隠れて見えない)、その新聞には真ん中に穴が開いていて、そこから森直也さんの片目がじっとテレビカメラをにらんでいて、最後にたしか一言、「つまんねえ番組、クソして寝よっ」と言って画面から消えるのでした。
これがNHKのお偉いさんの怒りに触れ、森直也さんは即刻「若いこだま」を首にされてしまうのでした。
(ラボリスさんからの情報)


たしか馬場こずえさんの「若いこだま」でスタジオライブを何度かやったことがあったように記憶しています。
若き日の上田正樹率いるサウス・トゥ・サウス、四人囃子、デビュー直前の金子マリとバックスバニーなどが出ていましたね。
当時、森直也さんと馬場こずえの若いこだまだけは欠かさず聞いていました。
懐かしいなぁ
(もりたろうさんからの情報 2007-05)

中高時代に!実はNHK「若いこだま」も聞いていました。ラジオを父からもらって聞き始めたのは「若いこだま」からだと思います。乱魔堂の「ちぇっ」を聞いたのも、ヘビーロックを初めて聞いたのもNHK「若いこだま」それも、馬場こずえさんから聞いたと思います。
(@kidmanboさんからの情報 2010-12)


2.パック・
イン・ミュージック 木曜第二部

「若いこだま」のあと、こずえさんは
TBSラジオの深夜放送 パックインミュージック木曜第2部
別名は「粗忽パック」「浪人パック」?
(ちなみに第1部は吉田拓郎)の担当となります。

以前のコメントに”ソコツ”パックと自称してた・・・とありましたが、”浪人”パックとも言っていましたよね。ソラマメさんのリスナーが”大学に合格しました”というハガキを寄せてくるのとは対照的にこずえさんのリスナーは”浪人決定しましたというハガキが多数派でした。深夜営業最終回から2年後、私も一浪したのですが、”これで真のこずえストになったなぁ”と思ったもんでした。
(南 立夫さんからの情報  2010-07)

① 放送時期 1971.04 - 1974.08  

② オープニング

吉田拓郎の放送が終わると、3:00からニールヤングの"Till The Morning Comes"とともに番組が始まりましたね。
(dixiefeverさんからの情報 2007-02)

ロギンス&メッシーナのグロウインもテーマでしたね。あとニール・ヤングの"Till the morning come"も。後者はメロディーが先斗町小唄(お座敷小唄)に似ていると、話題になってました。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


③ エンディング
 

 「引き潮(Ebb Tide)」
 演奏は多分フランク・チャックスフィールドかと・・・?
(gucci-kotaさんからの情報)

④ 選曲
 

1974年8月22日放送「こずえパック」

OP曲 ニール・ヤング 「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
1 モンキーズ 「すてきなブルーグラス」
2 ビル・ヘイリーと彼のコメッツ 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」
*映画「アメリカン・グラフィティ」試写会(久保ホール)招待募集あり
3 ジョルジュ・ムスタキ 「ヒロシマ」
4 フランク・シナトラ 「マイ・ウェイ」
*自由提出課題(レギュラーコーナー)
テーマ「こんな時あの人が居てくれたらなあ・・・と思うとき」
5 エリック・アンダーソン 「おいでよ僕のベッドに」
*アルバム紹介 アーロ・ガスリー 「家路」(ワーナーパイオニアP-8466)より
「もうすぐ会えるよ」「ノスタルジア・ラグ」「サボテンの花が咲くころ」「ゴー・ダウン・モーゼス」「ラスト・トゥ・リーヴ」
6 ジョニ・ミッチェル 「ヘルプ・ミー」
7 ジェイムス・テイラー 「兵士たち」
8 ニール・ヤング 「ハート・オブ・ゴールド」
9 ザ・バンド 「オールド・デキシー・ダウン」
10 メラニー 「心の扉を開けよう」
11 リタ・クーリッジ 「アイル・ビー・ヒア」
ED曲フランク・チャックスフィールドと彼のオーケストラ「引き潮」
にのせて「それじゃね、また来週。さよなら」のエンドコール

1974年8月29日放送「こずえパック」最終回
OP曲ニール・ヤング 「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
*冒頭、木曜パック1部の小室等氏(居残り)とのオープニング・トークあり
1 ニール・ヤング 「ザ・ローナー」
2 ニール・ヤング 「アイル・ビー・ウェイティング・フォー・ユー」
3 ニール・ヤング 「シュガー・マウンテン」
4 ニール・ヤング 「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」
*自由提出課題(レギュラーコーナー)テーマ「今にちの放送界に与えた馬場こずえの多大なる影響について」
5 馬場こずえ 「きれいなこのは」
6 ニール・ヤング 「テル・ミー・ホワイ」
7 ニール・ヤング 「ドント・レット・イット・ブリング・ユー・ダウン」
*次週からの新番組を「歌うヘッドウェイ」と紹介して、サブから「ライト!」と訂正が入ります
8 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「サザン・マン」(4ウェイ・ストリートから)
9 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「ヘルプレス」
10 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「デジャ・ヴ」
11 ニール・ヤング「自由の値」
12 ニール・ヤング「孤独の旅路」
13 ニール・ヤング「オールド・マン」
14 ニール・ヤング「アバウト・トゥ・レイン」
15 ニール・ヤング「オンリー・ラヴ・キャン・ブレイク・ユア・ハート」
16 ニール・ヤング「アイ・ビリーヴ・イン・ユー」
17 ニール・ヤング「ティル・ザ・モーニング・カムズ」
ED曲フランク・チャックスフィールドと彼のオーケストラ「引き潮」

⑤ その他

「来週からも、あの、宜しくお願いします。それではまた来週。お元気でね、さよなら」のエンドコール
最終回の寂寥感は全く感じられません。(前任の郷司淑子さんが泣いた話をしていたにも関わらず)
多分、来週からも同じ時間帯で後続番組をやることが決まっていたからだと思います。
ただ、この時はこずえさん自身も「歌うヘッドライト」の構成意図が、良く分かっていなかったのだと・・・
(gucci-kotaさんからの情報)

論理学講座より以前には、確かパック二部の時に「自由提出課題」という投稿コーナーがあったと思います。
また、「深夜営業」の前に流れる 3時迄の放送で、今は亡き落語家の桂文朝さんの番組があったのですが、その中の或るコーナーにもこずえさんが出ていらっしゃいました。
(ゆめなまさんからの情報 2008-11)

大学時代大ファンで水曜深夜のパック2部をよく聞いていました。
あの頃は明け方まで起きていたのが当たり前みたいな生活でした。
選曲の良さもありましたがソコツさのにじみ出たオシャベリが大好きでいつもニヤニヤしながら聞いていたことを思い出します。
確かご自分で「ソコツ・パック」とおっしゃっていた記憶があります。
( こずぇストさんからの情報 2009-05)

高校から大学にかけてTBSの深夜放送を良く聴いていました。
宮内鎮雄とか、小島一慶とか、林美雄とか、なつかしいです。
木曜パックを最初に聞いたのが1972年の正月です。
吉田拓郎の1部にゲストで出て、そのまま2部を始めた時の放送です。1部ではアイスクリームの歌というのを歌わせられていました。その後、4回連続して聞いたのですが、深夜まで起きて聴くのはキツくて、やめました。
ちなみに、そのころ麻梨子産業株式会社を毎日聴いていました。これはすぐに終わってしまって悲しかった思い出があります。その1年半くらい後に、録音して聴くというテクニックを編み出して、それからずーっと聴いていました。
(「映画好き」さんからの情報 2006年11月)

こずえさんのパック二部が最終回の時、番組が何故終るのか?と言う問いに対して、彼女が『あなた達が悪いんだからね』と言われたと思います。確かに僕達がもっと葉書をたくさん出していたらあの番組は続いていたかもしれません。しかし、あの番組にはスポンサーが付いていなかった(と思う)。民放にとってこれは痛いですよね。
(yasさんからの情報 2009-07)

TBSパックで小室等の2部を担当していたのが馬場こずえさんとは、このページで気づきました!!びっくり!小室等さんとおそろいのハッピを来てパック夏祭りに出たと思います。なつかしいなぁ!
当時愛媛県大洲市という田舎の盆地にいました。昼は太陽が邪魔してTBSは聞けませんが、深夜12時から朝5時ごろは何とかラジオは真ん中950キロサイクルTBSが聞けました。
(@kidmanboさんからの情報 2010-12)



3.歌うヘッドライト

1974年8月、パック第2部が惜しまれながら終了、
こずえさんは、そのまま後番組の「歌うヘッドライト」の担当になりました。

「歌うヘッドライト」は、いすゞ自動車提供のトラック野郎をターゲットにした番組で、
選曲は演歌などの歌謡曲中心でした。
洋楽好きな、こずえパックのファンはみんなガッカリしました。

1974.09 - 1975.03 歌うヘッドライト 木曜日



馬場さんの歌うヘッドライトで”一日一曲だけ外国の歌を聴こう”というコーナーが出てきたとき悲しくて泣けてきました。それだけに、のちの深夜営業での復活を知った時の喜びは大きかったです。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


4.馬場こずえの深夜営業

①放送時間 

土曜深夜 27:00 ― 29:00 (日曜午前3時~5時)

②放送期間 

1975年10月5日~1978年4月2日

歌うヘッドライトは聴くに耐えなくて駄目でしたが、深夜営業に復活してからは再び聴くようになりました。1978年3月31日(たしかそうだったと思う)にとうとう終わってしまって、かなり悲しかったです。泣いてしまいました。翌日は社会人になる入社式.。青春が終わってしまったと思いました。たしか、その5月に良くリクエストしていたSandy Dennyが死んでいるのです。その頃は、もう絶望的なシーズンだったわけです。
(映画好き さんからの情報 2006-11)

③ ネット局

全国ネットではなかった(と思う)
私のわかる範囲では、
TBC東北放送、新潟放送、四国放送、RSK山陽放送、RKB毎日(福岡)、RBC琉球放送で放送されていました。
TBS ではお休みで、他局のみ放送されたこともあります。その時は、論理学講座はお休みでした。
私は普段、四国放送で聴いていましたが、CM中の穴埋めは独自の曲で、TBS で流れていたこずえさんの「ここらでちょっと一息・・・」等はありませんでした。
(ゆめなまさんからの情報 2010-05)  


⑤ オープニング

オープニングテーマは大瀧詠一さんのイメージが強いですが、
当初は??
Jesse Colin YoungのMorning Sun、Song for Juli説あり。
ただし、大瀧詠一さんの前は、Steve GoodmanのIt's a sin to tell a lieでした。

メインスポンサーがなかったので、この曲はブレークタイムにも使われ、
そのときのこずえさんのセリフが印象的でした。
「水割り一杯呑みたいなァなんていうとき・・・」
「何にもすることがないとき、でもまだ今日に心残りがあるようなとき、
何の役にも立たないけれど日曜3時から5時まではここにいます・・・」

住まいが関西なので深夜になるほど遠くの電波がよく届いて、午前3時から始まる「こずえの深夜営業」を毎週楽しみに聞いていました。
ビートルズ一辺倒だった僕にはウェストコーストの音楽は始めて聞くものばかり。世界が広がりました。
矢野顕子も尾崎亜美もこの番組でデビューを知りました。
僕は大瀧詠一さんのテーマソングも好きでしたが、それ以前に使われていたオープニング曲が大好きでした。一度番組の中でフルにかかったことがあったのですが誰の曲かわからず、数年前にIt's a sin to tell a lieという曲名だけで何とか探し当ててamazonで購入しました。
ミュージシャンの名前はSteve Goodman、CDタイトルはJessie's Jig & Other Favoritesといいます。この曲は番組の間のジングルにも使われていて、こずえさんの「あー疲れた。ここで煙草をちょっと一服というついでにさらさらっとお葉書をどうぞ」というセリフの後ろにもかかっていました(と思います)。
(shinさんからの情報 2008-12)


「It's A Sin To Tell A Lie」ですが、数年前にこずえさんから電話があり、「あの曲について教えて?」と聞かれたので、説明した後amazon経由でCDをプレゼントした経緯があります。私もレコードしか持ってなかったもので、自分用に購入しました。
 フィルモアで有名なビル・グラハムの音源を扱っている「Wolfgang's Vault 」というHPがあります。70年代の膨大な音源がありますが、そちらでSteve GoodmanのIt's A Sin To Tell A Lie(アレンジがレコードとだいぶ違います)が、聞けます。70年代の多くのミュージシャンのLIVEが聞けますが、膨大で全部聞くのに何年かかかりそうです。
(shigeさんからの情報 2009-02)

Steve GoodmanのIt's a sin to tell a lie。
有名な曲ですが、この一人弾きアレンジは衝撃。好きになりました。
でも、以後も他の番組で聴く機会はありませんでしたね。
10年ほど前に無性に懐かしくなり、彼のCDを入手。嬉しかったです。
ネット上で同曲は見つかりませんでしたが、雰囲気的にはこれが…。
http://www.youtube.com/watch?v=h0mNOxvYK9A
この番組のおかげで若い時に国内外の良い音楽を聞くことができました。
こずえさん、スタッフの皆さん有難うございました。
(りよまさんからの情報 2010-09)

北海道でも「若いこだま」から「深夜営業」まで放送されていました。
馬場こずえさんの番組のオープニングというと、深夜営業の大滝詠一さんの曲以前では、Jesse Colin YoungのMorning Sun、Song for Juliの印象が強かったのですが、オープニング曲じゃなかったですか?
( きたからさんからの情報 2010-12)

◆大瀧詠一さんの軽快なメロディー

放送の途中から、大瀧詠一さんの軽快なメロディーで始まるオープニングに変わりました。このテーマソングは、後に大瀧さんのCMソングを集めたアルバム「ナイアガラCMスペシャルvol.1」に収録されました。
1975年5月、大瀧さんが「深夜営業」にゲスト出演し、その時に「テーマを作りましょうか?」と話したことがキッカケでできました。演奏はピアノが坂本龍一、ギターが山下達郎、伊藤銀二という超豪華メンバー。
歌詞の1番は「3am TBS 950 on your radio・・・」
2番は「明けりゃもうすぐ、楽し日曜日 花のアンパンこずえさん 土曜の夜の恋人に・・・」
でしたが、ご本人からのクレーム(笑)により、「花のあんぱん」が「荻窪美人」に歌詞が変更されました。

♪バババ、馬場こずえのシンシンシン深夜営業(繰り返し)馬場こずえ~
3AM、TBS、Nine fifty(950) on the radio 君の耳元で、今日も元気な笑い声、バババ、馬場こずえのシンシンシン深夜営業、馬場こずえ~♪」
ちなみに番組中でこずえさんは、「君の耳元で」の所をずっと「君の魅力で・・・」とソラミミしていたと言ってました(^^;」
まだ無名だった(と思う)頃の南 南佳孝の「おいらギャングだぞ」とか、マイナーな曲がよくかかっていた事もありましたよね?
(てるるさんからの情報 2009-03)

私の記憶では、大滝さんの番組テーマソング提供の発端は新アルバムの宣伝(当時は大滝さんも営業していた)で深夜営業に来られた折、話が弾んだことだったと思います。なぜ覚えているかというと、その時、衝撃的な質問が馬場さんからあったからです。
たしか、「アルバム作成には時間がかかりますから途中で嫌になったことはありませんでしたか?」と聞いたように記憶しています。
大滝さんは、絶句しました。ラジオを聞いていた私も目が覚めました。
そんなこんなで、話が盛り上がりテーマソング提供の約束があったように記憶しています。ただし、約束はなかなか実行されず、
「まだこない」と、馬場さんが番組で愚痴っていましたね。
(四国松山さんからの情報 2010-09)

 大滝さん作のテーマソングができる前のテーマは、たしかスティーブ・グッドマンの"it's a sin to tell a lie"だったと記憶しております。スティ-ブ・グッドマンのテーマも新しくその前のテーマから変わったばかりで、わずか2週目ぐらいで大滝さんのテーマが出来てきたので、非常に短命のテーマだったように記憶しております。こずえさんは大滝さんのテーマを大変気に入り、テーマソングとして使ったり、番組本編のなかでも再度かけたりしていましたね。
(南 立夫さんからの情報 2010-09)


⑤ エンディングテーマ

エンディングは、佐藤奈々子さんの「真夜中のロックンロール」


番組の最後は「起こさないで早起き鳥~♪」という歌詞の歌だった記憶があります(てるるさんからの情報 2009-03)

佐藤奈々子の曲は「ファニー・ウォーキン」の中の“〜真夜中のロックンロール”だと思います。当時、マリア・マルダーにハマっていて馬場さんに薦めたと思います。
大瀧さんの「起こさないで、早起き鳥」は、1stソロアルバムに入っている「朝寝坊」という曲です。当時、大瀧さんの大ファンだった私のプッシュということで。「ナイアガラ・トライアングル」の発売ゲストに大瀧、達郎、銀次の御三方が出演された時にアルバムにいただいたサインは家宝になっています。
(shigeさんからの情報 2009-03)

 

⑥ こずえ式論理学講座

毎週、こずえさんが課題を出し、読者がその課題をもとに投稿する深夜営業の名物コーナー

こずえ式論理学講座 判明している課題

1977年
8.14 左うちわの起源
8.21 器量の適量
9.18 勘違いの計算違い
9.25 飽きのこない秋の夜長の過ごし方
10.16 人間の証明書
10.23 お金の借り方、返し方
10.30 プロとアマの境目
11.6 渋柿の自己主張の甘さ
11/13 円高ドル安ちょっと一言言わせてもらえば
11/20 正しい勤労感謝の日の過ごし方
11/27 この秋損する人、得する人
12/4 出世のための接待基準
12/11 宵っ張りの早起き方
12.18 お歳暮とお中元の中身の違い
12/25 年の瀬の昆がらがった時の心の解し方

1978年
1/1 [なし]
1/8 [なし]
1/15 酒とタバコと男と女
1/22 ご町内の震源地
1/29 3分前、3分後
2/ 5 遊びの内申書
2/12 愛と贈り物の関係
2/19 保守と革新の境目
2/26 迷い道現在未来
3/ 5 喫煙権、嫌煙権
3.12 名刺の出し方とその効用
3.19 電話のかけ方受け方
3.26 ?
4/2  預金通帳の中身(最終回)
( ゆめなまさん、bechanさんからの情報)

論理学講座(論理欠く講座、ともいわれてましたよね)で、”笑うに笑えない時の笑い方”というお題が出た時、藁と雲丹と朱鷺を登場させて物語を完成させたハガキが読まれました。こんな裏技もアリでしたね。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)


⑦ 常連さん

都内練馬区桜台、溶けないコーヒーシュガーさん、
京都市左京区ミスターフェイラーさん、
習志野の低級遊民さん、
多摩丘陵のスーザンヤングさん、
磯子のかしこさん、etc...
(bechanさんからの情報)


ニールヤングの妻だか嫁だかいう人(このペンネームに言及しているのを、何かのサイトで最近見ました)と地下鉄のザジさんくらいしか思い出せません。
地下鉄のザジというのは映画の題名で、当時、知らなくて何だろうと思っておりました。
(「映画好き」さんからの情報)

サンディ・デニーが大好きで良くリクエストを出されていた方で「クロサワ」さんも思い出されます。深夜営業が終了して、しばらくして「パノラマワイドヨーイドン」というような題名で同じ時間帯に林美雄さんと放送していたと思います。深夜営業とは異なる内容ですが、こずえさんが毎週手紙を書いてそれを読んでいたと思います。懐かしいです、こずえさんはお元気なのでしょうか。
(bechanからの情報)

最終回で、夢を夢見るなまけもの、さんは、こずえ式論理学講座が開始から終了まで135講あったことをかぞえたり。その日のお題”預金通帳の中身”では、オリンピックの記念硬貨を普通預金に入れてしまったおばあちゃんの話が読まれたり、大活躍でした。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)

ゆめなまさんのような有名人ではなかったですが、私も「月のさばくのうさぎ」というペンネームでけっこうはがき出しました。週の日曜から火曜ぐらいまでは、論理学講座のお題のことばかり考えてるみたいな感じでしたね。けっこう読んでもらいました。ボツも多かったけど。一番よかったのは96.5点だったかな?あの点数もけっこういい加減でしたよね。もちろんそれがよかったけど。
あの頃はよくリクエストしたけど、今でもニールヤング好きです。来るとコンサートに行きます。あの人年とってはげたけど、元気ですね。(どこか大人げないとこもあいかわらず)こんなにニールに入れ込んだのは、馬場こずえさんの影響かも。
(うさぎさんからの情報 2010-01) 
 

⑧ 選曲

当時、かかった日本の曲を、揚げてみましょう。
細野晴臣、風来坊、相合傘。大滝詠一、外は好い天気。吉田美奈子、レインボウ・シーライン。尾崎亜美、私は何色。憂歌団、繁華街のはんぱ女。南佳考、おいらギャングだぞ。西岡恭三、プカプカ。オレンジ・カウンティー・ブラザース、曲名覚えていません。山崎ハコ、曲名覚えていません。山崎ハコさんはゲストで出演してましたね。鈴木慶一とムーンライダース、マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン。山下達郎、ラスト・ステップ。ティン・パン・アレイ、チューチューガタゴト’75.。鈴木茂、レディー・ピンクパンサー。
当時、既にナイアガラーだったので、日本の曲のコーナーが楽しみでした。
(南 立夫さんからの情報 2009-07)

この番組でよくかかった曲で好きだったのは
ガイ・クラーク…汽車を待つならず者のように
ジョン・セバスチャン…ワンステップ・フォワード・ツーステップス・バック
トム・ウエイツ…アイスクリーム・マン等々
最終回では、こんな曲もかかったんでしょうか?
( だんなさんからの情報 2009-04)

ある日の深夜営業で、馬場さんがアフリカの月、という日本人女性が歌う、ブルースなのかシャンソンなのか、記憶が朦朧としてわからないが素晴らしい曲をかけてました。
(しろうさんからの情報 2011-08)

毎週聴く、という熱心なリスナーではなかったのですが、それでも良く聴いていました。
論理学講座のお題で「借金取りを入れる鳥カゴは?」のテーマに反応し、「こずえ」や「こづえ」が出てくる話を読んでもらい、狂喜した覚えがあります。
当時はギターが好きで、テーマ曲について葉書で問合せたところ、直接返事の葉書を貰ったりしたのも嬉しかったです。
教えて貰ったのは、アサイラムの輸入盤で、銀座山野楽器の輸入盤コーナーで一発ゲットしました。
放送の中で、「他のアーティストは3/4拍子なのに、これは4/4拍子なのよね」
と言われていたのを思い出しました。
フィービ・スノウなんかもかかってましたよね。
「若いのに凄い歌詞を書くなって思ってたら、意外に年齢がいってるのを知って安心した」とか。
J.D.サウザーとかちょっとフツーの音楽番組ではかからないアーティストを教えて貰い、勉強になりました。
( た さんからの情報)

⑨ 番組に登場したゲスト

山崎ハコ、小室等、南佳孝、丸山圭子、
ナイアガラトライアングル(大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次、ロッキード事件国会喚問の真似で盛り上がっていました)、
斉藤哲夫、金子マリ、絵夢、細野晴臣、尾崎亜美、五堂新太郎、鈴木茂、
ジョン・セバスチャン、はまのさとる、いとうあきお、しまだそうじ、
大上留利子、とおやまあきら、宇井純、麻田浩、鈴木慶一、あがた森魚、
梅垣達志、憂歌団、大塚まさじ、佐藤奈々子、館ひろし、五輪真弓、
まつだいらただあき、加藤和彦
字のわからなかった人はひらがなで書いています。
また、こずえさんの扁桃腺や新婚旅行で代役 DJ を務められた方には、
岡田富美子、襟川恵子、及川弘子
各氏が居られます。
(ゆめなまさんからの情報 2009-07)

⑩ その他の情報

こずえさんの人となりについてなど、
こずえさんは、巨人のシピンのファンでしたね。
ちなみに、馬場こずえさんの息子さんは歌手 山本海太郎さん

馬場こずえさんは「同行二人」でしたよ。
FMにご登場の頃、北海道の稜線で、熊避けに大音量でビバークを。。満天の星を眺めながら聞いてましたっけ。。それとジリオラチンクエッティー。マイコロカセットに採って持ち歩いていましたが。。
(nickさんからの情報 2006-10)


こずえさんの新婚旅行の行き先は確かスペインでしたよね。
(yasさんからの情報 2009-07)


細野晴臣のクラウン・イヤーズというCDボックスセットが発売されて、その中に「泰安洋行」発売時点での、馬場こずえさんの「深夜営業1976/8/8」が収録されています。
内容は細野さんとの対談(インタビュー)です。
(dixiefeverからの情報 2007-02)


「深夜営業」の頃は田舎の中学生でした。
朝まで聞きとおして、フラフラ状態で学校に通ってた記憶があります。
エンディングの曲が流れると、夜明けの薄明かりのなか、「人生」を考えてしまったものです。
そんな中学生が、大学生になり下北沢に住み始めたのが70年代後半のことでした。
たぶん馬場こずえ的人生の行路がたどり着かせたのでしょう。
あのころの下北沢が、ほんとの下北沢?みたいな時代でした。
上田正樹は普段はとても物静かな人でした。
金子マリは弱いくせに酒ばかり飲んでよくトイレで倒れていました。
カルメン・マキの住んでいたマンションの1階が銭湯で、
遠藤ミチロウと一番風呂狙いで通っていました。
本田さんは時々ビールをおごってくれて、
「今度大きな劇場建てるんだ」と赤ら顔で語っていました。
「深夜営業」の影響ばかりではないのですが、そういう時代にどっぷりの自分がありました。
あの時代のあの世界が30年前!
(クロンシュタットさんからの情報 2008-02)


高校から大学にかけて、よく聞いていました。「スーザンヤングさん」「低級遊民さん」、懐かしいキーワードがいっぱいで感激しています。
大瀧詠一のことを知ったのもこずえさんの番組でした。
「深夜営業」の時はどうしても寝てしまいそうになるので、60分カセットでラジカセ 2台、一時間ずらしたタイマーでなんとか録音したこともありました。
論理学講座は私が投稿にたまたま書いたタイトルがコーナーの名前になったもので、嬉しくてよく出していましたが、どうしても他の投稿者のセンスには追いつけなかった気がします。
(ゆめなまさんからの情報)


ある日馬場さんはあるリスナーのハガキを読んでいました。ハガキの内容は忘れましたが、そのリスナーはハガキの最後を”馬場さん愛してる”としてしめくくりました。普通、こういわれると、リスナーを傷つけないように、”あら嬉しい”とか”どうしましょう”とか言って、その場を取り繕うものですが、馬場さんは”私はあなたがどういう人か知らないし、好きでも何でもありません”という意の回答をいたしました。当時中2でしたが、この人すごい人だと子供心に思ったものでした。
( 南 立夫さんからの情報 2009-07-15)


深夜営業で鮮明に覚えているのは、テーマ曲の「ばばば、ばばこずえのしんしんしんしんやえいぎょう♪♪」の最後が、「ば、ば、こずえ~♪」とハモリのようになって終わるのをもじって、「ばかこじえ」と書いてきたハガキがあり、最初は笑って受け流していたのが、何回か重なってきて、マイクの前で本当に怒っていた馬場さんの様子です。あのころは、レモンにしてもナチチャコにしても、あるいはキンキンにしても、好き嫌いや喜怒哀楽を、割とそのまま電波に乗せていた時代でしたが、悪ふざけでからかわれて、本気でむかついているのが、何とも深夜の3時過ぎにして、異常に新鮮に感じられたものでした。
(hiroponnさんからの情報 2010-04)

こずえさんと、初対面の女性との会話
女性:馬場さんのラジオ番組ってどんな曲がかかるんですか?レッド・ツェッペリンとかかかります?
こずえさん:かからないなあ。
女性:じゃあ、エアロスミスとかどうです?○○とか?▽▽とか?・・・?
こずえさん:かからないなあ。
女性:ええ~っ、そんな趣味の悪い番組あるんですか?
こずえさん:・・・・。
(Travellerさんからの情報)

⑪ 馬場こずえの深夜営業、最終回
 
最終回は、1978年4月2日。
その前週、3月26日は、こずえさんが腰痛で、クロさんこと襟川恵子さんが代役を務めました。

最終回間際の3月19日の放送
こずえさんが、深夜営業の4月2日終了を初めて口にしました。
論理学講座については、「今週出しまして来週読みますところの課題」が最後となり、
最終回は論理学講座無しと言われていたのですが、翌週にこずえさんが欠席(クロさんが代役)したため、論理学講座は最終回に持ち越されました。クロさんは代役を務めた際にこずえさんの事を「輪ゴムで髪の毛まとめて仕事してる。もっとおしゃれしなさいよ!」とかおっしゃってました。

1978年3月26日は、こずえさんが腰痛で、クロさんこと襟川恵子さんが代役を務めた

こずえさんの腹痛(?)の件、覚えています。
クロさんが当初、こずえさんになりすまそうと試みたけど、30秒くらいでお手上げになったような気がします。
(Mashi☆Toshiさんからの情報)

最終回の選曲は、主にThe Bandの「Last Waltz」のアルバムからでした。

The Band(アルバム「Last Waltz」から) 
Old Dixie Down
Coyote
Down South In New Orleans
久保田麻琴と夕焼け楽団 シケモク暮らし
大瀧詠一 みだれ髪
 The Band(「Last Waltz」から)
 Helpless
 stagefright
 Forever young
キャロルキング It's Too Late
デビット・バスキン When I Need You Most Of All
キャロルキング Natural Woman
The Band(「Last Waltz」から)
 Ophelia
 The Wright
 Such A Night
 I Shall Be Released
憂歌団 嫌んなった
南佳孝 おいらギャングだぞ
Neil Young Till The Morning Comes
(bechanさんからの情報)

いろいろな方が、いろいろな想いで「深夜営業」を聴いていたんですね。
コメントありがとうございました。
(2014.4.25記)


小田原城 [街歩き]

小田原へ行ってきました。

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訪問したのは、3月29日。
東京では、桜が見ごろになろうかという時期でした。

小田原城公園の桜もそろそろ・・・
と期待しましたが、少し早かった。

開花していましたが、まだ一分咲き、二分咲きあたり。

残念でした。

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さて、写真は小田原城。

にわか知識で、
この城について書きとめておきましょう。

小田原城の前身は15世紀、大森氏が築いた山城。

城が拡張されたのは北条氏の居城になってから。

小田原は、関東を支配するためには欠かせない
戦略的に重要な土地。

それゆえ、常に各国の戦国武将に狙われ、
城主の北条氏は、防衛のため、拡張を重ね堅固な城にしていきました。

1561年、上杉謙信、

1569年、武田信玄、

両雄の攻撃に耐えた難攻不落の城は、
次の豊臣秀吉の攻撃に備え、さらに築造され、
周囲9kmに及ぶ、巨大な総構となりました。

しかし、1590年
豊臣秀吉との3カ月に及ぶ篭城戦の末に敗れ、

北条氏は滅亡。。。

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江戸時代、小田原は徳川家康の領土となり、
家康の腹心 大久保忠世が治めることとなります。

大久保家が小田原の城主になってから
1703年に、元禄大地震が発生し天守と櫓が倒壊。

1706年に再建されるが、その後も地震により被害に遭ったあと
明治時代初期、政府によって大半が取り壊されてしまいました。

現在は城の施設の復元が進められているそうです。

こちらが、小田原城の正面玄関。馬出門です。

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その名の通り。

門を入ってすぐ、馬屋曲輪につながっていることから、
この名前になっています。

復元されたのは平成21年。

まだ新しいです。

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馬屋曲輪にある歴史建造物っぽいこの建物は
二の丸の観光案内所です。

昭和初期に立てられた洋風の建築物で、
復元された城内の施設より、ある意味貴重かも。

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銅門(あかがねもん)は、
馬屋曲輪から二の丸とをつなぐ門。

二の丸の正門になります。
こちらは平成9年の復元です。

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二の丸に入ると、緑が増えてきます。
本丸へとつながる赤い橋とのコントラストがきれい。

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本丸の正門、常磐木門。

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櫓を兼ねた立派な門です。
こちらは昭和46年に修復され、
現在の姿になっているとのことでした。

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いよいよ天守のある本丸です。

本丸は徳川将軍が地方に出張するときの
将軍用のホテル、本丸御殿がありました。

現在の小田原城の天守は、昭和35年、
江戸時代の資料をもとに復興された、鉄筋コンクリートのビルです。

総床面積1822㎡、総瓦枚数63440枚、
総工費8000万円・・・ん、 8000万円
50年前の物価水準では、1億円以下だったことが意外。
(小田原城パンフ「相州小田原城より)

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現地に到着したのが、8時台だったので、

9時の開門と同時に、一番で入場。

ギギギギギィ・・・

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お城の天守は、
日本中どこへ行っても、大体博物館になっていますね。

当時使用されていた武具などが展示されているものですが、
小田原城もご多聞にもれず、
甲冑、刀剣、絵図など、数百年前の貴重な資料が展示されています。

ちょっと面白かったのは、小田原提灯の由来です。

折り畳み式の画期的なアイデア商品で、
大雄山最乗寺のご神木の御利益ありのコンセプトが受け、

江戸時代の大ヒット商品になったとのことでした。

今なら発案者は大金持ち
提灯御殿と呼ばれる豪邸が建っていることでしょう。

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あと、豊臣秀吉の小田原攻めの時の
北条氏に宛てた果たし状が展示されていまして、

これも興味深かったですね。

いちゃもんですよ。

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天守の4階からの眺望。

秀吉が一夜城を築いたと云う石垣山や、
雄大な太平洋が一望です。

ああ天気がよければなぁ~

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本丸の南にある報徳二宮神社にも寄ってみました。

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ここに祀られているのは、江戸時代の偉人

ご存じ、二宮尊徳。

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小学生には、二宮金次郎という名前の方がポピュラーです。

薪を担ぎながら勉学に精を出す姿は、
日本の教科書にものっている
勤勉な日本人の象徴ともいえる画ですが、

そもそもこの人、何をした人?

そう聴かれ、ちゃんと答えられる人は
おそらく私の周りにはいないでしょう。

wikipediaで勉強しましょう。

⇒  二宮尊徳 

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城郭を出て、

宿場町 小田原ををぶらぶらと歩いてみました。

時代感のある美術品店と、外郎博物館

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交通量が多い、殺風景な東海道

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かつて、東海道の宿場町として栄えた旧市街

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小田原宿なりわい交流館

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海は市街地から歩いてすぐです。

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高い堤防の上を走る西湘バイパスをくぐれば、
太平洋が広がっています。

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訪れた時間が午前中だったということもあり、
開いている店はまばらでしたが、
やはり、地方都市にありがちな
商店街の寂れ感が漂っていました。

しかし、小田原駅前のにぎわいとは違う
昭和時代の雰囲気。

嫌いじゃないです。

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そして、駅前のお土産屋ではなく、

この界隈の小さなお店でおみやげに買った

かまぼこが美味しかった。

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山本俊彦さん [音楽]

3月29日、山本俊彦さんの訃報を耳にしました。

ユーミンの作品「冷たい雨」「卒業写真」
モーリス・アルバートの「フィーリング」のカヴァー曲の大ヒットから
ハイファイセットのあの山本さん、という報じ方をされていますが、
私の場合は、それ以前の「赤い鳥」時代の印象が強いです。

赤い鳥は、今や国民的ソングとなった「翼をください」を歌っていたフォークグループ・・・
いやいや、実際はフォークというよりはソフトロック
J-POP黎明期のビッググループの一つ。

赤い鳥の初期の名曲の数々は
村井邦彦氏の手によるものが多いですが、
「河」「二人」は山本さんの作曲でした。
夫人は山本(新居)潤子さん。当時の平山泰代さんとの美しいツインボーカルは
もはや伝説になってしまっています。

オリジナルメンバーで再結成してほしかったなぁ。
本当に残念です。

67歳で旅立ちとは・・・
大滝詠一さんの訃報に続きショッキングなニュース。

ご冥福をお祈りいたします。

【関連記事】
赤い鳥 
http://cliff-pinder.blog.so-net.ne.jp/2009-02-28


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